ある者の話


人は、愚かな生き物である。

陳腐な表現で実直に述べるならば、あえて愚かと言わざるを得ない。なぜなら、人は心と思考という厄介な代物を手にしてしまったからだ。

その心を持ち合わせることで人は合理性を失い、思考を持ち合わせることで武力を手に入れた。神への信仰心とは、それすなわち人の行為主体たる思考、心情に対して起きた不都合への理由づけを放棄した結果に過ぎず、奇跡なるものは神の慈悲でもなんでもないただの錯覚だ。

しかし、再三繰り替えすが、人は愚かな生き物である。

心とやらが生み出した平和への信念と、思考とやらが持ち出した平和という大義名分が生んだ正義というプロパガンダは、歴史的衝突を生み出した。

戦争は、もっとも人が人たる故に起きた惨事であり、必然的な衝突だったであろう。

 

君は、目に見えないものを信じる性質だろうか?あぁいや、その崇高な信仰心とやらを否定する気はない。理解もできかねるがね。

ならば、その見えないものに恐怖を感じたことはあるか?畏怖も恐怖だ。感嘆し、圧倒され、そして目が眩む。理解ができないものに抱く恐怖は実に人間的だ。なぜなら、獣はあるがままを受け入れ、生存する為のみに行為意味を見出すからだ。人は、思考を持ち合わせたがゆえに理解できない。そして同時に、思考を持ち合わせたがゆえに恐怖を理解してしまった。実に厄介なのは、人が人たる心と思考は時に相反し、時に同調する。

太陽を見たまえ。焼き焦げるような熱量に君は目を伏せるだろう。そうして眼球の奥が焼き焦げ、二度と光を見ることはないかもしれない。本来なら恐怖を覚えるところだ。目が見えないが故に五感情報の一部が欠落したからね。しかし、その信仰心、心という奴は言うのさ。「最後に光を見た。あれは、神の光だった」と。

君は、その神とやらが決めた終焉に向かって歩みを進めているという。歩みを止めることは不可能だ。時計の秒針は止まらないだろう?へぇ、神の意思、ね。まぁ敬虔な信者ならそう言うだろうとも。ああいや、時間という概念さえ、人が定めた何かだった。失敬、これは例えが悪い。しかして明日が来る限り、人は人であるがゆえに歩み続けなければならない。そして、理解ができない者に手にした武力で奏でるのさ。神のお告げとやらをね。

 

愉快な話をしよう。

人が最も残酷になるときは、君のいう信仰の教えに登場する悪魔に堕ちた時なんかではない。

正義の側に立ったときだよ。真偽は必要がない。君達流に言うなら、そうだな。それが免罪符だからだよ。

平和を口ずさみながら正義を奏で、血みどろの死体さえ殴り続けるのさ。

君、理解できない不都合へ神の教えを説く前に正義という字を見たまえよ!!正しいという字は城壁で囲われた都市を行くと書くのだよ!

正義という玩具を持った気分はどうだ、麗しの我が陛下殿。実に人間らしいじゃないか。わかっただろう?君は神にはなり得ない。

他人事のように語るな?あぁ、語るとも。人ではないのだ、当然だろう。

 

 

あぁ、失敬。君はもうすでに、太陽に目が眩んでしまったのだったな。

 

 


昔は、平和だった。

 

今も平和だと、人間達は言うかもしれない。片目をつぶれば確かに平和だろう。

例え話をしよう。もし、君達のあずかり知らぬところで悪事に加担していたと知ったとき、どう思うだろうか。

おそらく多くの人間が憤り、こう答えるだろう。

僕は、私は、やっていない。

その恩恵を受けていたのに、間接的には確実に関わっていたのに、自分には関係のないことなのだと訴える。

君達は神に何故祈るのか考えたことはあるかい?お父さんお母さんにいわれたから、成程良いことを言うね。じゃあいじわるな聞き方をしよう。

それは本当に正しいことなの?

そんな困った顔しないでくれ、いじめてるみたいじゃないか。

難しかったかい?君も大人になったら、この話がわかるかもしれないね。

そういえば、君、来年18歳になるのか。

 

そう、じゃあ選ばれるといいね。

 


── 前暦XX年。

もう随分と前のことだ。記憶はすでに擦り切れて、断片になってしまった。

かつて、この国には私達とそうでない者が暮らしていた。

私達は、私達でない彼らを人と呼び、人はアポロンを守護とした。

人の寿命は私達と比べて酷く短い。そして、脆く、弱い。すぐに死んでしまう。

だからこそ、私達は彼らを庇護し、そして彼らはその恩恵の代わりに私達に尽くした。

それで国は成り立っていた。そのはずだった。

崩れたのは、いつからだったのだろうか。

人の、寿命は儚い。しかし、私達よりはるかに繁殖能力が高かった。

そうして増えた人はいつしか恩恵を忘れ、永く生きる我々を恐れた。

 

私達は大抵の事では死なない。それは、私達が、植物神と深い結びつきにあるからだ。

アルテミスを守護とし、生命の樹から生まれ、種族を増やす私達は人のように交わることはない。

それでも、欠点はあった。

愛されなければ死んでしまうこと。

個人差はあるが、敵意や殺意を向けられ続けると生きていくことができない。それは乾いた大地に枯れる花のごとく。

死んでしまった時には、植物に還る為に花が咲くこと。

それは自然の摂理。

人は、愚かな生き物である。

陳腐な表現で実直に述べるならば、あえて愚かと言わざるを得ない。

我々を恐れ、思考という武力を手にした彼らは、数をもって敵意で私達を殺しにかかった。

そうした動乱の中、私達が本来死に場所として選ぶ場所─ヒュアキントスの丘で、その花を飲んだ女が、永く生きたという。

 

私は変わり者で、一人の愛があればよかった。

そうして、私は一人になった。

 

かつて、花を飲んだ女が言った。

私が神様になれば、誰も死なない世界をずっと続けられるかもしれない。

貴方を一人にはさせないと。

 

人の寿命が延びた。

かつての同胞達の血肉を、花を、彼らは蝕み生きながらえた。

私は、太陽が嫌いだ。私達を月とするなら、太陽は敵だ。

それでも。それでも、間違っていると思うのだ。

 

なぁ、パンドーラ。

地母神を、ガイアを名乗り摂理を曲げる必要はない。

君が生んだ私の模造品たる存在に精を出す必要はない。

私達は決して選ばれた「人」ではない。

人をどれだけ弄ろうとも、私達にはなりはしないのだ。

 

そうとも、歴史には終わりがあるはずだ。

ヒュアキントスは絶え、君達の時代が来る。

それでいいじゃないか。

それが、歴史というものじゃないのか?

なぁ、パンドーラ。

私を殺してくれないか。